AP計画メンバー振り返りvol.1

アートポイント計画としての事業は卒業したnullです(ACFのnullとしては、まだ継続中)。
nullメンバーとは、一度ここまでのnullをまとめておこうということになりました。後が続くかどうかはわかりませんが、ひとまずvol.1として公開。
2019年の夏も終盤にかかる頃にvol.1を開催し、2024年で足掛け5年になる。 この間にコロナ禍があり、”集まる”ことに制限がかかることで「余白」や「距離感」、そして「深度」について色々考える日が続く。
この5年間で公式に8回まで行われた「null -自由な場所とアートなこと-」では報告という瞬発力での振り返りは行っているものの、もう少し時間を経た感覚や言語化できてないこともそのまま、まとめておこうと思う。
当初からACFをすこし外からみていた風景でもあるので、当事者たちはもう少し違った印象やニュアンスであったかもしれない、ともかく私の視点からの話としてご容赦ください。
はじまりのはじまり
nullはアートポイント計画のプログラムのひとつで、色んな価値観が混ざり合い文化的なアート自治コミュニティをつくるためのプログラム。その始まりは泥臭く生っぽい。
まずは暮らしと表現の芸術祭 フェットの助成金をとるところにさかのぼる。 フェットは府中で行われた芸術祭で、2016年、2018年に行われた。市民と市内・近隣のアーティストが主体となって動くことで「誰もが表現できるまち」を目指して行われた芸術祭だ。 その芸術祭には地域の方々からの協賛金や参加費で賄われていて、多くはACFメンバーのボランティアで運営されていた。地域祭りをする感覚で地元のメンバーは慣れているようだけれど負担は多い。その負担を少しでも軽くするためだったかと思うが助成金をとる話にが持ち上がった。そこで東京アーツカウンシルのアートポイント計画に応募しようということになる。 しかしながらフェットには助成金だせないと断られる。ただ、面白い市民団体なので応援するというようなことでアートポイント計画として助成いただき、チャレンジすることになる。確か拠点という場づくりも一つの目的としてあったように思う。
ともかくフェットではなく団体に助成いただき、アートポイント計画が進む。
私はフェットやその他のウェブサイトの制作という一歩外から俯瞰して眺めていた感じだった。
はじめのプログラムは、実験映画の上映会「フチュウ・フィルム クロニクル」というなんともマニアックで自由さのある企画。どういう経緯でプログラムの発案がおこなわれたのかはわからないが、他のアートポイント計画にはなかなか出てこないと思う企画で、この地域(しかも公会堂)でこの上映!?といった趣があり、しかも対象を実験映画ファンに設定するのではなく堂々と市民に設定していた。
私は実験映画が身近な存在だっただけに、この選択は衝撃的だった。
私も映像作家の友人に声をかけて少しばかり貢献し、フチュウ・フィルム クロニクルのWEBサイトを作成する。
ACFにはアート界隈に精通している人だけではなく、肩書きも様々に入り混じりながら物事を進める雰囲気があり、並列であり、それが良くも悪くも雑多で特色だと思う。 そういう多様な中で物事をまとめて進めるのはなかなか大変だったんだと想像する。
上映会自体は無事に終わったものの、フェットやこの上映で中心メンバー間で揉め事があったり、かなり疲弊したようで、その先の計画が続かない。打ち上げで知らなかった話を色々と聞く。 率直にACFの他とは変わったところ(褒めてる)をこのままなくなってしまうのはもったいないと思い、この疲弊感をどう取り除いて前に進められるかというACFの課題を感じたところが実はnullに繋がる。
自律分散型の運営
アートポイント計画としてACFではどんなプログラムができるのか?その模索の一つとして、疲弊せずに小さな活動が自発的に行われるようにACFメンバー+αのコミュニティ・サロンを作ろうよ。という趣旨で私が発言したものが最終的にnullの母体となる。私はまったく運営に入るつもりもなかったのだが…
そもそも当時考えていたものは、ACF会員中心の場であり、じんわり外に広がる接点にもなるオンラインの場として機能するもので、一つのプログラムというよりももっと事務局寄りの業務改善としての性格が強かった。
このプログラムを経て、子供がいる、仕事がある、介護があったりしても、普段の生活をしつつアートや表現を続ける仕組みとしての相互フォロー、一人の責務や実務を負わずに動けるという体制をつくる、そういう自律分散型の実験的な試みとして話が進んでいく。
少人数のACFメンバーとアーツカウンシル東京のプログラムオフィサー(当時)村岡さんとであれこれチャットでのやりとりが飛び交っていた。
「有機的な部活動でアイデア実現のためのチームができて、遂行したら解散。」
「企画の応援とする。プラットフォーム作り。」
「アートにまつわる何かを、地域で、地域の仲間たちとやりたいという人が集まる場。」
などなど。。
村岡さんは我々の言語化できてない話を辛抱強く聞いて回答してくれアイデアもだしてくれていた。固まらない話をよく聞いてくれたし尊重してくれた。話し合いの中で、ドラクエの旅人たちが仲間をもとめて集まる出会いと別れの酒場「ルイーダの酒場」の案をだしていたのも村岡さんだ。ゆるやかな出会いと別れ、そして再会。なんかいい。個人的にこの案は今でも持ち続けている。
コミュニティ・サロンという場
コミュニティ・サロンでの事業計画は難しい。
コミュニティはともかく育たないことには始まらないからだ。ともあれnullは”サロン運営”という形でACFメンバーが集まり有機的な活動を促すための場として、お互いを知り、意気投合して「やりたいなー」という企画が生まれるネットワークをつくることを目的にする。
そのネットワークがじんわり外に広がり、それぞれの「部活動」がいくつも起きることが「誰もが表現できる」ところに繋がる。そういうコレクティヴの意識が面白くなるのではと話し合う。
場を作るのではなくてネットワークをつくる。という点も重要。
できるできないは別にして、話を進めると「場をつくること」をするような感覚になるが、主体的に動くのはあくまで参加者なので場はつくらない。人を知ってネットワークをつくる活動をする。
細かい点は馬渕さんとやり取りをしてなんとか事業に結び付ければと頑張る。ちなみにここでも企画をしているのみで、運営に入るとは思っていない。
ここまではアートポイント計画として草案をまとめる以前の話。
memo : 話し合われた中でルール作りとして下記のようなメモが残っていた。
①ACFのメンバーや関係者にアクセスできる ②アートに興味のある一般の方にも開かれている(メンバーになることができる) ③常にACFメンバーの誰かがいる ④展示や勉強会など仲間内の小規模な活動が自由に出来る
実際のアートポイント計画
思惑があるのかないのかわからない。”東京都”と事業を行うことになることで、どれだけにリーチする内容なのだと集客の話がでてきて、そのためにはどうするのがよいかという話になる。(わたしがそう受け取っただけの話かもしれない。)
集客を求めていくと結局外部の有名なアーティストを招聘するなどのフックになる事柄が必要になる。当然今までの実績あるアーティストに任せて地域をワイワイさせて作り上げることで内部も外部からも評価を得やすいし、評価を得るということは来年も予算がつくということだ。
外部アーティストに頼むことで様々な点でスマートに片付くが、それをするのはどうもしっくりこない。フェットでも繰り返し話されていたが、あくまで地域の人が動き、表現することで地域の居心地よくするというのがフェットからのメンバー達の考え方。だからフェットには「暮らしと表現の芸術祭」と暮らしがつくのだと認識している。
そもそも定量的な評価が重視される世の中になりすぎている気がする。もっと自由でいいのではないか、ダメなところも含めて愛されて続くものってあると思う。
行きつ戻りつしながら、あれこれ模索しやりとりしながら草案をつくる。もやもやがたまる。
外部からアーティストを招聘して行うような事業は少なくともnullは違うという感覚がぬぐえないので、その考えは頭から外す。 やっぱり関係の薄いアーティストが関わってたとえ注目を浴びても市民のものにはならないし、有名アーティストが頂点に立つヒエラルキーの下に市民がいるような感覚に陥ってしまう。アーティストにそんなつもりは毛頭ないのだろうが、メディアはインパクトのある情報の伝え方をする。
余談だが、地方で伝統工芸品を有名デザイナーがプロデュースして注目を浴びるといった構図も気に入らない。
からっぽな状態”null”
草案をだし、アートポイント計画のプログラムオフィサーやACF中心メンバーなどの意見を聞き、オンラインやらオフラインやらフックをどうするやら紆余曲折しながら形を作る。主に馬渕さんとあれこれと行きつ戻りつチャットした思い出。
最終的にアーティストを招聘するのではなく自分たちが活動を起こしやすく、活動しやすい状態をつくるためのネットワークづくりを行うことになる。
肩書きや職種に縛られず、誰それのお母さんやお父さん、奥さんや旦那さんだけではない、いくつもの面を知ることで繋がるネットワークがあり、その繋がりが会員からじんわり外に広がっていくネットワークづくりとして設定する。
「何もない状態(null)からお互いを知り・考えが生まれることを楽しみ、キャンバスに色を”塗る”ように企画しモノやコトを面白がりたい。そんなコレクティヴならではの場はきっと新しい街の景色がみえるはず。」というメモが残っている。
正式に「null -自由な場所とアートなこと-」がアートポイント計画の事業となる。
“色んな価値観が混ざり合い文化的なアート自治コミュニティをつくるためのプロジェクトです。”ぬるぬるこねくと”を合言葉に、アートを軸にした多様でディープな人と人、人と場所、人とコトのネットワークを広げていきます。”
テーマと場所を決め、参加者にテーマにまつわるものを持ち寄ってもらい、参加者が何を考え、どんな興味を持っているのか、自分との接点や今まで知らなかった面をお互いに発見して交流を深める。そういうプログラムになる。
ちなみにnullは変数やオブジェクトが入ってなくて空っぽですよとプログラムが返すときに使われる用語。プログラムエンジニア界隈では大事。
既にドイツ贔屓を知っている(お互いにいろんな面を知っている)人から提案をもらったネーミング。しっくりくる。こういう情報共有されるネットワーク大事。
この辺りで運営側にはいることが頭をよぎりだす(笑)。いや笑えない(笑)。
null運営の準備
正式に事業となるので運営メンバーを引き入れてあれこれ。
一度大枠が決まるとやること・準備するものは決まってきてくる。
第一回目をどこでやるか、何を準備するか、フックを何にするか、看板をつくってもらおう、アーティストとの接点としたイメージビジュアルを準備しようなどあれこれしたはずなのだが、この間の記憶は薄い。
他のメンバーが優秀なので、粛々とアイデアをだしつつ進めてくれてた気もするし(多分にしてくれたと思う)、東京アーツカウンシルからのGOをもらうために決めねばならない細かなめんどくさいことで無駄に疲れた気もする。
運営準備に当然予算もつくのだが、予算に制約も多い。 準備するための備品を購入する予算ができたのでありがたい。プロジェクターは今でもお役立ちだ。
いろんな人に関わってもらいたいこともあって、木彫アーティストの馬塲さんに立て看板を作ってもらう。アイデア満載であれこれ使い勝手を考えてもらいつつも、楽しんで作ってもらった感もあって嬉しい。こういうアーティストも”中にいる感じ”がいい。
アーティストとの関わりとしてメインビジュアル(nullポスター)も毎回作ろうという話でまとまる。
null vol.1 @鴨下酒店&サロンドカモシタ
テーマ:「音楽」
メインビジュアル:烏田 鈴渚
第一回目のテーマは音楽。
場所は芸術祭フェットの会場の一つだった鴨下酒店&サロンドカモシタで開催となる。
ネットワークづくりはネットワークの強化でもあるのでフェットでの繋がりを会場に選んだ。
当日、挨拶がてら少し前に行ってサロンドカモシタでご飯を食べる。nullの会場について多少の行き違いがあり、ちょっとドキリとしつつもなんとか準備をする。
店内にある置物や飾られている画などが素敵だった。
そういえば棟方なにがしの雅号印がある版画をお持ちで、棟方志功本人、もしくは弟子などまつわる誰かのものだと思うと話されていた。その件は、後日ふと読んだ郷土史に棟方志功と親交があって府中に在住していた人だと記載があった。(※ 棟方末華:府中の芸術文化に貢献した重鎮でした)
初回のメインビジュアルは誰にしようかと考えて運営メンバーチャットで話していたところ烏田さんから手が挙がる。ちょっと話がズレるけれどすっと手を挙げる動作が先にでる感覚は持ってないとダメだなあと思う。年齢問わず。
後々ポスター展示をすることをもくろみながら、A1のポスターで依頼するも、テーマに合わせて正方形のフォーマットで仕上がってくる。うむむと思いつつもこれはこれで。思った通りにならないのもこれまた良しとする。
(詳細は null vol.1 レポートをご覧ください)
null vol.2 @life design village FLAT
テーマ:PRINT
メインビジュアル:宮山 香里
第二回目のテーマはPRINT
会場をlife design village FLATで行う。現在では「たまれ」の愛称のほうが印象強い多様な人が集まる集合住宅の一角にあるスペース。見知ったところでガヤガヤと開催。
この後「たまれ庶務部」として関わりを持つなど思ってもいない。このvol.2を行ったことが影響しているのかどうかわからない。が、nullは強烈に何かを残すというよりも、じわじわと弱く絡むネットワークなのかもしれない。
たまれは、有機的に変化を続けていて、つかみどころのない面白いところだ。物事をはっきり区別してしまわず、全てを受け入れるようであり受け入れないようなところ。安吾的世界観と密かに思っている。
(詳細は null vol.2レポートをご覧ください)
null vol.3 @artist-run-space merdre
テーマ:毒気を感じるけど面白いモノ
メインビジュアル:小川 優紀
第三回目はアーティスト ラン スペース メルドルで行う。フランス人からすると特にインパクトのある名前。
ここではテーマから参加者の持ち寄りがあり、最終的に”議論をする場”にしたい話がでてくるが却下した。多様性の中では意見を持ち寄り議論をする場面は当然でてくる。 ただ、null内で議論をすることは違う気がした。SNSで良し悪しではなく極端な主張で強いほうが拡散され、注目され、先鋭化した思想が広まりやすくなってきている。
そういう世界とは別のレイヤーでいたい。
テーマは「毒気を感じるけど面白いモノ」に決まる。こういうなんやら?なテーマでもいい。嫌いじゃない。
(詳細は null vol.3のレポートをご覧ください)
null vol.4 @COFFEA EXLIBRIS kettle
テーマ:穴
メインビジュアル:三輪 浩光
テーマは「穴」
振り返ってレポートを読むとテーマはテーマ企画者が立て、nullが実行するということを外に記載した会。
アーティストの高島英男さんが考えた自身のアート活動に沿ったテーマ。作品作りに直結するテーマだけに何を考えて作品を作っているのか少し紐解けたような気がして個人的に好きな会。
日頃、美術館などでアーティスト自身と話ができる機会があると表現がより深く楽しめると思っているので、アーティストを含めてのネットワークづくりには良かったなあと思う。
会場もCOFFEA EXLIBRIS kettleさんで落ち着いてのんびりとした大人の夜の会になってたと思う。
片付けの際にメインビジュアルを忘れて帰る失態をする。
(詳細は null vol.4のレポートをご覧ください)
null vol.5 @寿町三丁目公会堂
テーマ:新年
メインビジュアル:西郷 美絵
新年ということで地域や意識して公会堂で行う。メインビジュアルづくりのワークショップを兼ねていて子どもの参加もあり、持ち寄った食べ物を食べたりで、自治会での集まりのような雰囲気になる。田舎ではよくあった光景だけれど、自治会に入る世帯も少なくなったので、いまは地域に住んでいるというだけの接点ではなかなか交わることがない。
自治会のあり方や地域のつながりについて考えている寿町3丁目自治会の公会堂には良い会になったと思う。
そして今では私はこの自治会の準会員になっている。思えばここでもネットワークができているが、運営側として動いていたからなのかどうなのか。いずれにしても私自身が体験していることを参加者にも広がってほしいなとは思う。いや、単に見えてないだけかもしれない。
(詳細は null vol.5のレポートをご覧ください)
null vol.6 @オンライン
テーマ:こだわりすぎるくらい好きなモノ(コト)
メインビジュアル:高嶋 英男
コロナ禍が広がり人を集めてイベントをすることが難しくなってきた時期。特に東京都との事業でもあるのでシビアに判断される。
6回目はIN VINO Veritas Santgriaで行われるはずであったが、感染対応で急遽延期という措置をとった。
nullはオンラインだけでは難しいと判断され、実際に会って話してじんわり広げるネットワークづくりに設定されたプログラムなので、感染対応としてオンラインで行うにもそもそもの話に立ち返ることになる。最初からnullを組み立て直すような感じになるのは厳しい。
そうはいってもといいながらzoomを使ったオンラインを実験してみる。
オンライン開催は今までとは違う良い点も多々あったけれど、物理的な距離感があるのは否めない。
(詳細は null vol.6のレポートをご覧ください)
null vol.7 @星星峡+オンライン
テーマ:縁起にまつわるモノ
メインビジュアル:馬塲 稔郎
前回のオンライン開催を経て、やっぱりオフライン(オンサイト)も欲しい、じゃあ固定の場所でも出会う時間軸を変えてみればいいんじゃない?という考えで実行した会。こういうアイデアや動かす力があるのは佐藤さん。
ポストカードに記載してもらうことは、物理的な距離感が遠くなることに反比例した何かがある。
その何かはラジオ向きだ、ということでACFラジオ「おとのふね」とのコラボ出演(ネットワーク)を行うことになる。同じプロジェクトでもプログラムが重なることがなかったので良かったと思う。
(詳細は null vol.7のレポートをご覧ください)
「null -自由な場所とアートなこと-」 イメージビジュアル展
イメージビジュアル展は、大東京綜合卸売センターの空きスペースをACFが使わせてもらえることになったことからはじまる。
ACFの別チームで期間限定のACF拠点「やど仮」を準備していて、そこの展示としてイメージビジュアル展を行うことになる。
せっかく作ってもらった作品なので、最初からイメージビジュアル展は行いたいと考えていた。在廊という形で制作アーティストにも関わっていただいたこともネットワークづくりになったのではと思う。仮ではあるが当初からのACFのプロジェクトとしての拠点作りができたし、物理的な場所の力は大きい。
(詳細は null イメージビジュアル展のレポートをご覧ください)
null vol.8 @大東京綜合卸売センター「やど(仮)」
テーマ:自分でつくったもの
市場にACFスペースができたので、市場にいる人たちともちょっと親交深められるといいなという思いもありつつ、運営メンバーでテーマ企画を行った会。前回のハガキに味をしめる。ハガキの距離感と匿名感(とはいえアナログで筆跡がわかる感じ)がもたらすものは面白い。
そもそも第一回のフェット2016では、何組かのアーティストが集まって『昼の市場、夜の市場』として展示を行っていた。その際の市場の方々との関係性が面白く、いい関係だった。またやって欲しいと思うし、地域と地域に関わりをもつアーティストとの関係はもっと増えて展示が立ちのぼっていく景色を見たいなあ思う。
nullとしては、市場の方々とのネットワーク作りはまだまだだが、後々繋がるといいなと思う。
(詳細は null vol.8のレポートをご覧ください)
終わりに
nullを通して身近な人の違う一面がみられ、ネットワークづくりができるようにと思い事業を行ってきた。個人的には実際に多面的なところを知ることはできているのだが、nullがあったから知れたというしっかりしたものはない。nullの事業はふんわりとして境界もあいまいだ。
昨今、インターネットを巻き込んで両極端の意見が良くも悪くも人の関心を引き、その関心が拡散されて、そのことが商売として成り立つようになっている。なんでもファストで知ることができて(知った気になって)しまう。
そういった世界観とは全く違うレイヤーが身近な地域にあり、もっと目の前の人と隣あって進むようなネットワークがあるのはいいことだと思っている。
府中には伝統文化(祭り)の要素が強くある。反面、近隣の市のようなアートや文学や音楽などの文化的な風土は羨ましいと地元民からよく聞く。
改めて「null -自由な場所とアートなこと-」は、府中の場とアートと多様な価値観の人々を混ぜて交流する文化的なプログラムとして、見えないところで広がるものがあった。
事業映えもせずに地味で、広い拡散もないが、ボトムアップで人・物・コトをゆっくり知り、動いていく自治コミュニティnullの輪がさらに広がると嬉しい。
山浦@null メンバー振り返りvol.1