2025.6.17

福祉現場の「文化的取り組み」についての勉強会 レポート

2025年2月16日(日) 14:00 – 16:30   LIGHT UP LOBBY カフェマーブルにて

登壇者:NPO法人コットンハウス、フレンズ 土屋眞理子、土屋秀則

株式会社シンクハピネス 糟谷明範、和田滋夫

ACFモデレーター:宮山香里西郷美絵

助成:公益財団法人 東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京 [芸術文化による社会支援助成]

地域社会にとって「文化」とは ?

NPO法人アーティスト・コレクティヴ・フチュウ(以下ACF)では、主宰する事業「ラッコルタ-創造素材ラボ-」の中で、共生社会に向けた自治体や企業との協働が増加しています。障がいのある方々や、超高齢者との取り組みに臨む中、アートを介したコミュニケーション、また社会におけるつながりのあり方について思考する日々が続いています。

地縁の薄い現代社会の中で、「個人はどう地域と関わっていくかそこに文化ができることは何か」。ACFは、今後の共生社会プロジェクトのヒントを探るべく、福祉現場の実践と課題を学ぶ勉強会を開催しました。「地域で暮らす」という一見あたりまえのことに真摯に向き合っている2つの地元福祉企業を招き、お話を伺いました。地域の一員として社会に繋がりながら、個人としてのゆたかな生活を支援する「株式会社シンクハピネス」そして「NPO法人コットンハウス、フレンズ」。個人と社会のあり方にとって、「文化」はどのような役割を果たせるのでしょうか。 現代社会における「つながり」の可能性、そこに文化がどう介在できるか、皆で意見を交わす場を創出しました。

文化 = あいだにあるもの

まず登壇したのは、訪問看護や居宅介護支援を行う「株式会社シンクハピネス」の代表・糟谷明範さん。理学療法士として、総合病院や訪問看護ステーション勤務を経て、2014年に「”いま”のしあわせをつくる」をビジョンに当社を創業しました。その中で、医療者と地域住民との間にある主従関係みたいなものに違和感を覚えたことから、医療や福祉がどう地域に入っていけるかの実験場として「life design village たまれ」というコミュニティ事業も運営しています。当日は、その担当者でもある和田滋夫さんが淹れるコーヒーの香りを堪能しながらの勉強会となりました。

「たまれ」の出入り口でもあるコミュニティカフェFLAT STANDでは、糟谷さん、和田さん、看護師の方々が、医療や福祉の専門職としてでなく、まちで暮らす1人の個人として「1杯のコーヒー」を介した程よいフラットな関係を実践しながら「つながり」の意味を問い続けています。住民がふらっと立ち寄れる場所であり、また、病院以外での患者の生活を知るきっかけにもなり得る場。地域の居場所を提供しながら、つながりのあり方、そしてつながらない自由も尊重し、地域と個人の「あいだ」に育まれるその時々の関係性や距離感に注目しています。

また、糟谷さんは発表の中で、社会課題解決の風潮にも一石を投じました。医療や自治体、企業側の視点による一方向的な解決の結果ばかりが重視されていないか、「解決された」ことにより失われる関係性や、見過ごされている本質があるのではないか。

誰かの「嬉しい」をつくると、誰かの「悲しい」もつくられる。

解決する側 / される側双方の流動的な視点や、そこに育まれる関係性へ着目することを提言しました。シンクハピネスにとっての文化とは「あいだにあるもの」であり、そのときどきで、人と人の境界線に漂う「いい感じ」が指標となっています。

slide.comやChat GPTなど最新のコミュニケーションツールを使用したプレゼンテーション手法も糟谷さんの発表に彩りを与えていました。大学院で社会デザインを学び、活動の言語化に挑みながら、「暮らし」の中に育まれるつながりのあり方を思考し続け、それぞれの「しあわせ」や「正しさ」に向き合う姿勢が印象的でした。

文化 = 社会のこころ

次に登壇したのは、「NPO法人 コットンハウス、フレンズ」の土屋眞理子さんと土屋秀則さん。精神障がい者の福祉・就労支援に長年取り組み、創作や農業、カフェなどを通じて、自己表現と社会参加の場を提供しています。支援にあたっては、常に様々な面から「人間」について考え支援を行っているとのこと。その中で「共にいる時間」、そして自分らしくいられる「表現活動」を重視してきました。

最初は「芸術家集団をつくりたかった」と笑う土屋秀則さん。もの作り、絵画や音楽などの表現活動は、団体創設当初から長年続けてきた取り組みです。利用者の中には、目を見張るような芸術的才能を持っている人も多く、創作を通して回復し成長できるだけでなく、作品を通して社会参加できると考えました。

当日は、利用者の多彩な絵画作品を並列し、紹介しました。例えば「模写」という表現の中に、それぞれの生き方が現れる、と語ります。

その中でも、土屋さんが、回復途上の精神障がい者の作品の特徴として、主題と様式からの解放を挙げています。「生きる意味と生き方からの解放」が表現に投射されており、それにより、鑑賞者にも感動がもたらされ、つくる側と見る側に相互的な癒しのつながりが生まれると語ります。セラピーの関係性は、一方的なものではなく、表現する者と鑑賞する者との間で相互に起きている現象なのです。「生きている目的」に向き合っている社会に生きている私たちにとって、それらから「解放」された表現がもたらす効果が確実にあるのではないか。その意味でも1つの作業所が、労働と離れたところで芸術活動によって、市民の皆さんに「感動」を届けたいと語りました。

長年、精神科病院やケアの現場に勤務してきた土屋眞理子さんが、府中の小さな1室から始めたコットンハウス、フレンズ。徐々に活動の場を社会へ開いてきた眞理子さんは、やり続けることが、つながりを育むこと、そして地域にあたたかく見守られていることを穏やかに話しました。

文化とは目には見えない「社会のこころ」であり、人がどんなふうに考え生きているかに関わるものだと話してくれた土屋さん。よりよい支援方法や支援システムの基礎となるもの、それは、社会の文化です。簡単に言えば、社会が障がいをどのように捉えているかということを指摘しています。

地域の中で、表現を通して社会とのつながりを再構築しようとするお二人の率直かつ温かい発表は、素直に心を打つものでした。

地域に介在する文化 

その後、休憩を挟んで、登壇者同士の感想と、参加者との対話が交わされました。今回、世代の異なる2組の登壇者の対照的なプレゼンテーション手法も印象的でした。

登壇者同士の感想の中で、土屋さんは、一人一人の利用者と向き合うことに集中する自分たちの活動が「島」のように感じられ、シンクハピネスの地域活動や糟谷さんの提言、発表方法は目から鱗で、刺激的だったと述べられました。また糟谷さんは、長年のコットンハウスの活動に敬意を表しつつ、土屋さんの発言の中にあった「相互的なセラピーの関係」、そこに今日のお話にある「ケア」の倫理が集約されていると共感しました。和田さんは、利用者の表現を鑑賞するとき、初めて会う人が見る印象と、長年知っている人が見る印象はどう変わるのか興味深いと指摘、また有事ではない「日常」の中でのつながっているようないないような「関係性」への思索について語りました。

会場には地域住民、行政関係者、福祉事業者、研究者、アート関係者などが集い、発表の後、多様な対話が生まれました。

今日の発表を受けて、行政や福祉に関わる人が課題解決に向き合う際の視点についての話題がありました。「解決」によって、失われてしまう関わりもあること。地域における日常での様々なつながりの中で、有事のときに選択肢をいかにたくさん与えられるか。いろいろな相談がある中で、その人の真のニーズは何か、根本解決は難しくても、いかに選択肢を与えられるか、が大事だと話す土屋さん。また和田さんも、言葉にする中で、自分のフィルターで解釈をして解決するのではなく、相談する側とされる側のあいだを往き来する視点の大切さを語りました。

福祉と心理の専門家である参加者からは、デマンド(主観的要望)とニーズ(客観的必要性)の折り合いをつけていくことが大事であり、それはとてもクリエイティブな活動であること。そして「ケア」と「アート」はとても近しい関係にあるとの指摘がありました。カタチのないものをカタチにしていく、選択肢をどれだけ出せるか、そして正解や不正解でなく、別解をどれだけ出せるか、その創造的なところがおもしろい。今日の勉強会のように、あたらしい文化を、いろんな視点からリデザインしていく試みが素晴らしいとご意見いただきました。

社会の中での役割を脱ぎ捨てて「個」としての自分を表出するための方法やきっかけについての質問にも、それぞれの応えがありました。組織に縛られず常に「個」として利用者や社会と向き合っていると断言する土屋さんは、会社や行政など所属する役割や立場からしか見えないこともある、その視点もまた大切にしてほしいと述べられました。ACFモデレーターで、アートを通して子どもと接する西郷さんは、子供は役割や社会と無関係に、こちらの状態を敏感に感じ取り応対してくれるため、できるだけ素の自分で向きえるように心掛けていると話しました。糟谷さんは、社会 / 個人 / 目の前にいる人、という関係性の中で、「会社が」「組織が」ではなく、主語「わたし」で話ができるというのはとても大事だと指摘しました。

イタリアのフルインクルーシブ社会を研究し、特別支援学校の教師でもある参加者は、この勉強会を通して「地域コミュニティー」が鍵である、と改めて確信した述べました。障害のある子どもたちが分離教育を受ける中で、地域に参加する権利を奪われている現状。60-70年代から始まったイタリアのフルインクルーシブ教育、そして精神病院の解体は、まさに「地域との関係性を取り戻していく」ことであったと語りました。本来みんなが地域に生きていれば、地域との関係性は自ずと生まれてくる。その当たり前でありながら、生活の根本でもある「地域で暮らす」意義について再考しました。

江戸川のNPO法人に所属し、精神疾患者の地域活動支援センターにて、演劇や美術による表現に携わる参加者からは、イタリアの精神疾患者の演劇による関わりにより、施設内に劇団ができたこと。利用者の美術表現活動の中で、アートなど「文化」へ触れる経験値が少ない人が多くいる現状、そして、抽象的な思いを、色やカタチに表出させる、その過程に「文化」が宿るのではないか、と話しました。

今回の勉強会の主催者として、ACFモデレーターの宮山は、「文化」を「人間が人間らしく生きるための体系」いわば「コミュニケーションの形」と捉えています。果たして「地域で暮らす」とは何か。その問いを初めて意識したのは、長年住んでいるイタリアの地元ミラノ郊外で、精神疾患とアートのリサーチをしている時でした。精神疾患のグループホームでの治療ゴールは「地域で暮らすこと」。ただそこに居れば、暮らしていることになるのか…? そんな問いから今回の勉強会につながり、改めて地域における「文化」の役割について考える機会を得ることができました。

今回の勉強会の中で、地域における「文化」とは、社会における精神的な豊かさの基盤となるもので人と人の「あいだ」に動的に在るものということが共通項と感じられました。地域の心地よいつながりを育む「文化」とは、それぞれの人のこころに縛りではなく、解放をもたらす土壌であり、そこで生まれた相互的な表現なのではないか。そんな思索をもたらしました。

「文化」というキーワードにより、福祉やケアに関わる方々、市議や自治体の文化事業に関わる方々、デザインやアート関係者、教育や福祉の研究者ほか、地元府中のみならず、遠方からも多彩な参加者に恵まれました。

ラッコルタという企業廃材の価値転換の取り組みの中で生まれた学びの会合において、それぞれの席は、選んだ素材によってテーブル分けされるという遊びも取り入れられました。同じ素材を選んだ初対面同士、テーブルごとにそれぞれの対話が生まれていたのが印象的でした。ときどき「地域」や「つながり」ってなんだっけ?と思い出す小さなお土産として、素材はお持ち帰りいただきました。

その後、参加者から多様な感想が届いています。「医療」や「福祉」「教育」「アート」などの各分野の枠組みではなく、今回の「地域」や「文化」というテーマにより、異分野/異世代の方々との対話が生まれ、刺激的だったこと。日常の当たり前の中に「問い」をもつ大切さを学んだ、などの言葉が寄せられました。

個人はどう地域と関わっていくかそこに文化ができることは何か」について、それぞれが思いを馳せる時間。今回の学びを活かし、異分野を対話でつなぎながら、地域の中で文化的な取り組みを継続する思いを新たにしました。

執筆: 宮山香里 写真: 高橋真美

※ 実践者へのヒアリングを行うACFのリサーチプログラム「まなばぁーと」。今回は「ラッコルタ-創造素材ラボ-」との共同企画です。